塩野元氏を偲んで
- 2013/07/18(Thu) -
追悼 塩野元君
    
    さらば友よ      稲冨一興 
 
 この五月の初め塩野元君が逝った。享年七十二歳。
私と塩野の出会いは昭和三十九年(一九六四)東京オリンピックの年だった。
私がテレビ朝日ニュース(現テレビ朝日映像)三年生の時だったから
付き合いは約五十年になる盟友だった。
生年月日も私が昭和十五年一月七日で
塩野が同じ年の七月七日という何か不思議な因縁で、
性格も塩野が軟派で私が硬派という正反対なものが多かった。

昭和三十年代後半から四十年代にかけての日本は高度成長期とあってとにかく忙しく、
色々な事件・出来事の連続であった。
二人とも報道現場に身を置いて毎日のこうした出来事を
経験力として貪欲に身に着けていった時代であった。
東京オリンピック・大阪万博・沖縄返還国会・連合赤軍事件・ロッキード事件等々
昭和史に残る数々の事件、出来事は
二人で話し始めたら尽きることがないような貴重な経験だった。

昭和五十三年(一九七八)報道一本化で共にテレビ朝日に移ってしばらく、
塩野は江森モーニングショーに、
私も後を追うようにモーニングショーへと異動となった。
私はどちらかというと一つのものをしつっこく追いかける方だったが、
塩野は色々なものに関心を持ってネタをとる方で
よく「俺はマムシで、お前はカエルだな」と話をしたものだ。
今から思えばこの時期の塩野が一番生き生きとしていたように見えた。

ロス疑惑の三浦事件、グリコ森永事件などで
報道部を出し抜いたことも何度かあった。
また塩野はこの時、二十二歳年下の番組スタッフを射止めて目出度くゴールイン
「朝星夜星の忙しい毎日なのによく小まめにそんな暇があったなあ」と
みんなにやっかみ半分で冷やかされていた。

この後、塩野は田原総一朗さんの「サンデープロジェクト」のプロデューサーとなり
サブ司会者に都はるみさんを起用した。
いかにも塩野らしいキャスティングであった。
このころから塩野にはストレスがたまり始めたようで、
温和な性格がかなり短気に変わったようで、
十年ほど前に脳内出血を発症その後、
脳梗塞を四回も繰り返すなど体調を崩しついに帰らぬ人となった。
奥さんは「本当に優しい人でした。思い出と、もっと色々してあげたかった
という心残りが有りすぎて切ない」と話されていた。

大横綱 大鵬、世界のホームラン王 王貞治、
奇しくも俺たちみんな昭和十五年生まれ!
馬鹿をやってたのがつい昨日のようだ。
残念無念!さらば友よ、塩野元君。       合掌


蓮1




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